大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和36年(わ)3498号 判決

被告人 寺岡正雄

昭一三・四・一〇生 無職

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三六年七月二日午后一一時四〇分頃、大阪市港区新池田町一丁目七二番地万楽湯こと辻重孝方二階七畳間において、同人方住込従業員新江利弘所有のジヤンバー一着および学生服上衣一着(時価合計三、〇〇〇円位相当)を窃取し、これを一旦同所附近路上に隠し、さらに右辻方に引返して金品を物色中、右辻重孝に発見され同所より逃走したが、同人が「泥棒」と連呼しながら被告人を追跡しているのを聞知した能浦信義が被告人を発見して同区三先町一三二番地森宇吉方前路上まで追跡し、同所において被告人を掴えようとしたので、逮捕を免れるため同所にあつた木製椅子(昭和三六年押第六四七号の一)を右能浦の顔面めがけて投げつけて暴行を加え、

第二、(1) 同年六月七日頃の午后八時頃、同区八幡屋元町三丁目八一番地先路上に駐車中の自動車内から、多和恵美子所有のトランジスター・ラジオ一台(時価五、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(2) 同月一二日頃午后五時頃、同区池島町二丁目三三番地北巽方において、同人所有のトランジスター・ラジオ一台、ズボン二点(時価合計一四、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(3) 同月一五日午后五時頃、同区夕凪町三丁目二七番地河内秋郎方において、同人所有の背広上下、ズボン、眼鏡等八点(時価合計七七、八〇〇円位相当)を窃取し、

(4) 浜戸俊行と共謀して、同月一六日午后三時頃、尼崎市西長洲東通四丁目三九番地有田建設内において、大地一所有の懐中時計一個(時価三、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(5) 同月一七日午后九時頃、大阪市西区花園町六一番地山本輝夫方において、同人所有の背広上下一着(時価五、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(6) 同月一八日午后三時頃、同市港区新池田町二丁目四七番地友本力方において、同人ほか二名所有の腕時計、オーバー、背広等七点(時価合計二九、五〇〇円位相当)を窃取し、

(7) 同月二一日午后六時頃、同市西区九条南通一丁目七四一番地アパート曙荘内松浦幹昌方において、同人所有の背広上下一着、トランジスター・ラジオ一台(時価合計二四、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(8) 浜戸俊行と共謀して、同月二三日午后三時頃、尼崎市西長洲本通二丁目二二番地森下方稲岡巧居室において、同人所有のズボン一着(時価一、五〇〇円位相当)を窃取し、

(9) 同月二四日午后一時頃、大阪市港区八幡屋元町一丁目二七三番地石走敏雄方において、同人所有の腕時計一個(時価三、〇〇〇円位相当)を窃取し、

(10) 同月二五日午后六時半頃、同区八幡屋宝町一丁目二二八番地宅川高市方において、同人所有のラジオ一台、ジヤンバー一着(時価合計五、二〇〇円位相当)を窃取し、

(11) 同月二八日午后四時頃、同市大正区南恩加島町二丁目七番地檜皮方井上頼昭居室ほか一室において、同人ほか一名所有の背広上下一着、トランジスター・ラジオ一台(時価合計二六、五〇〇円位相当)を窃取し、

(12) 同月二九日午后二時頃、同市此花区西九条下通一丁目一五番地酒井千代方において、同人所有の女物単衣一着(時価二、六〇〇円位相当)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(前科)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法第二三八条、第二三六条に、判示第二(1)ないし(12)の各所為はいずれも同法第二三五条(4)および(8)についてはさらに同法第六〇条)にそれぞれ該当するところ、被告人には前示の前科があるので、同法第五六条第一項、第五七条により、判示第一の罪の刑については同法第一四条の制限内で、それぞれ再犯加重をなし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条、第一四条により、重い判示第一の罪の刑に法定の加重をなし、情状憫諒すべきものがあるので、同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽をなした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二一条により未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、全部被告人に負担させることとする。)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人の判示第一の所為につき、被告人のなした暴行は自己の身体を防衛するためになした正当防衛行為であつて、窃盗の罪責のみを負うものと主張するが、判示の如き能浦信義の逮捕行為は法令にもとづく適法な行為(刑事訴訟法第二一三条、刑法第三五条)であるから、これに対する反撃を正当防衛ということができないのは刑法第三六条第一項の規定に照らし明らかである。また被告人は右能浦が被告人を追跡する際「つかまえたら半殺しにしてしまう」と言つた旨主張するが、私人が現行犯人を逮捕する際興奮のあまり右のような不穏なことばを発したとしても、そのことだけによつて直ちに逮捕行為が違法となつて、これに対して正当防衛行為をなしうるものとは解せられないので、右主張はその理由がなく採用するに値しないものと言わざるを得ない。

(判示第一の事実についての強盗傷人の訴因を判示の如く強盗と認定した理由)

判示第一の事実についての訴因は、被告人の判示暴行により被害者能浦信義に全治まで約一週間を要する鼻部打撲症の傷害を負わせた旨の事実をも掲げて被告人の行為を強盗傷人罪(刑法第二三八条、第二四〇条前段)を構成するものとしている。思うに傷害とは人の身体の生理的機能を毀損し、あるいはこれを不良に変更することをいうものと解されるが、刑法上にいう傷害とはそれが法律上の価値概念である以上は、医学上人の身体の生理的機能の毀損あるいはこれの不良な変更とみるべき一切の場合をいうものではなく、右のうちから合理的な基準によつてどのようなものを刑法上の傷害と考えるべきかを決めて行くべきである。そしてその基準を求めるに先立つてまず暴行罪(刑法第二〇八条)との関係を考えなければならない。暴行は人体に対する物理的な力の行使であるゆえ、殴打したり蹴つたりする通常の形の暴行の場合は、多少なりともこれによつて医学上人の身体の生理的機能が毀損され、あるいは不良に変更されていると見るべき事態が起つていると思われる。したがつてもし医学上の生理的機能の毀損および不良な変更がすべて刑法上の傷害になるのであれば、刑法第二〇八条の暴行はごく例外的な形の暴行の場合にしかありえないこととなるのであり、これは刑法上も本来予想していないものと解すべきであろう。そして法律上の傷害の概念を定めるには社会通念をも考慮に入れる必要があるのであつて、刑法が社会規範である以上は、法律上の概念が社会通念から著しく離れることは避けなければならない。これらの点を考えれば医学上人の身体の生理的機能が毀損され、あるいは不良に変更されたとみるべきものの中でも、本人が傷害として意識せず、別段の治療を施さないでも短時間に快癒する程度のもので、その間日常生活に支障を来さないような軽微なものは、刑法上の傷害には該当しないものと解すべきである。

本件についてこれをみると、証人能浦信義の当公判廷における供述および医師田中庄司作成の右能浦信義に対する診断書によれば、本件の被害者能浦信義は被告人から判示の如く木製椅子で鼻部を撲られ打撲症を蒙つたが、同人としては別段医療を施す必要も感じなかつたので右打撲により鼻血が出たのを止めるため鼻を冷やす程度の措置をとつていたに過ぎなかつたところ、犯行の翌日に至つて警察官の指示があつたので、医師の診断を受けることとしたが、田中医師診察の結果は鼻部に腫脹があつたとはいえ、別段の治療行為もなさず、たゞ鼻部打撲症により約一週間の安静加療を要する旨の診断書だけを作成したのみであつたこと、そして右診察後右能浦信義は全く医師の治療を受けなかつたのみならず、自らも何等の手当も施さないまゝ三、四日にして鼻の腫脹も治まり、軽度の疼痛も除去されその間日常生活に別段の支障を来たさなかつたことが認められるのであつて、右の如き軽度の鼻部打撲症をもつて所謂人の健康状態を不良に変更し、もしくは身体の完全性を害したものとはいい難く結局傷害と目するに足りないものと解されるので本件訴因のうち傷害の点は無罪と判断し判示の如く認定した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 青木英五郎 梨岡輝彦 桜井文夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例